僕のCDデビューまでの道のり
どもHIKOです!

人それぞれのチャンスがあって、
人それぞれのデビューがあると思います。
今回は僕のチャンスと、
そのチャンスを掴むまでをお伝えします。
18~22歳 オーディション全戦全敗

18歳の時にオリジナルソングを演奏するバンドを組み、
そこで作詞作曲を始めました。
めちゃくちゃなデモで、いくつかオーディションを受けました。
それから22歳まで約1000のオーディションを受けました。
1次審査すら通ることなく5年の月日が流れました。
僕はポジティブな人間なので、
これだけオーデションに落ちても諦めることはありませんでした。
23歳 オーディションにひっかかる
夏、新しく作ったデモでいつもどおりオーディションを受けまくりました。

そして、ついに、初めて連絡が来たのです。
連絡があったのは、
僕の第一志望のソニーミュージックでした。
「オーディションサイトで曲を公開する。人気があれば先に進める。」
とのことでした。
しかし、その後連絡はありませんでした。
またオーディションを受けまくろうと、
新しいデモを作っていた時、
芸能プロダクション(スカイコーポレーション)から連絡がありました。
事務所に伺い、プロダクションの社長と話をしました。
シンガーソングライター志望の僕にこんな提案をしてくれました。
シンガーとして才能なし → 諦めろ
ソングライターとして才能がある → 作詞作曲家になれ
そんなストレートに言われるの初めてです😅
そして、
これからCDデビューする12歳の少女(晶akira)を紹介してくれました。
↓デモに入れていた曲の一部はこちら
晶akira DNA
晶akira ひまわり
チャンス
晶akiraのデビュー曲を探し続けているが見つからない
イメージは椎名林檎さん
「作ってみたら?」
社長は軽く言ったのでしょうが、
僕はヤル気全開でした😤
晶akiraの歌を聴いた衝撃のせいか、
椎名林檎さんの「本能」をよく聴いていたせいか、
メロディーが降りてきたので、簡単に作詞作曲できました。
数日後、社長にデモを渡しました。
作った曲 変色中果実
社長は「作ったの?後で聴いとくね」って感じでした。
その場で聴いてもらえなかったので、
「なんか期待されてないし、まぁダメかな」と思いました🙁
↓晶akiraのデモはこちら
椎名林檎 本能 カバー
井上陽水 氷の世界 カバー
チャンスを掴む
数日後、バイトが終わって携帯を見ると留守電がたくさん入っていました。
社長とソニーレコードのA&Rの人からでした。
折り返すと「すぐにソニーレコードまで来てほしい」とのことでした。
場所は?
もちろん知っています。
総武線や中央線に乗っていると見える市ヶ谷の黒いビル(売却済み😱)
いつかあそこに呼ばれたいと思っていましたから。
僕の楽曲が晶akiraのデビュー曲に決まり、
スカイコーポレーションとマネージメント契約を結びました。
社長に「これまでオーディションに落ちまくってきた」と話すと、
「あんたよく挫折しないでここまできたね」と驚いていました。
24歳 CDデビュー
詞も曲も直しはなしで、
僕はセカンド、サードシングルの作曲にとりかかりました。
そして、
2001年6月20日
僕は作詞作曲家としてデビューしました😆
僕のデビュー曲 変色中果実
ちなみに、売れたのは3000枚ぐらいだったと思います😅

まとめ

自分の才能を認めてくれるひとりの人との出会いが、
僕のデビューのきかっけでした。
そこでチャンスをもらい、そのチャンスを掴むことが出来ました。
オーディションに落ちても大丈夫です。
なぜなら、何も失うものはないからです。
どんどんチャレンジしましょう!
ではではHIKOでした👍